全然腐女子関係ない話。
アンチも一種のファンだなと最近思います。愛情の反対は憎しみじゃなくて無関心です、というマザーテレサの言葉がありますがその通りだなと日々思ってたりします。
世の中の大概の人は好きなコンテンツ以外には基本無関心です。このブログについても例外なくそうで、解析を入れてみるとわかるんですが、95%の人はこのブログをクリックしても本文を読むことなくブラウザバックしていきます。ほとんどのページがそうです。
私のブログの文章が残念とか、求めてる内容と違うからじゃない?というお叱りは置いといて、世の中だいたいそういうものだと思ってます。私もWebサイト開いたけど、面白くなかったから閉じた、思ってる内容と違うから閉じたの回数は結構あります。
そんなほとんどの人が読まないを選択するこの残念ブログに謎のアンチ?らしき人が現れました。このブログってそもそもはてな会員しかコメントできないようにしてあるんですけど、わざわざ捨て垢まで作って苦情のコメントを入れる方が現れたんです。アホらしくなってコメント欄を閉じてみたんですが、振り返って考えるとすごいことですよね。
自分のブログにこんなこと言うのもあれだけど、こんなブログのためにわざわざ新垢作ってコメントしようってなりますかね? 私ならならないです。だって面倒じゃん。そこまでする価値ある?
なんならほとんどの人が最後まで読んでくれてないし。
だからその人はある意味私のブログのファンみたいなものなのかもしれません。
さて、アンチコメントを入れた方を煽りたかった訳ではなく、言いたかったこととしてはその人のためにわざわざアンチ活動やアンチコメントするってかなり労力がいることですし、やってることはファンみたいなもんでしょと言いたいだけです。
例えば、この好き嫌いを語ろうという名のアンチ御用達掲示板「好き嫌い.com」
(ここに本当に好きな方の名前を入れて検索してはいけません。ほぼ、どの掲示板もアンチのたまり場になってますんで)
ここに私の好きなゲーム配信者さんの名前を入れると、たくさんのアンチコメントが見れるんですが、アンチ達はちゃんと動画を見てたりします。
矛盾したことを言うから嫌い、イキってるとこが嫌い。この前出した動画見たけど、解説間違ってた。
君らかなりちゃんと動画と配信追ってるね。なんなら好きなはずの私よりちゃんと見てるんじゃないか?(作業しながら流し見してる人)
YouTubeの配信者なんてその人のページをわざわざ開かなければ見ることなんて絶対ないのに。再生数や同接数やコメント数にわざわざ貢献しにいってるんですよ。なんて健気な。
本当に嫌いになるとだんだん見る回数が減って、そしたらだんだん関心も減って、今その人がどうしてるのか全くもって気にならなくなります。
YouTubeのAIって結構賢いので見ない動画はだんだんオススメから排除されてきますし、最終的にサムネすら見かけなくなります。
アンチ活動をしている内はまだファンの内な気がします。嫌い嫌いの好きのうちです。嫌いという感情をずっといだけてるうちはまだ好きの部類に入ると思います。
ちなみに誹謗中傷を擁護する意図はありません。アンチの情熱ってある意味ファンだよね、ということが言いたいだけのブログでした。